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アメリカ留学

20代後半でアメリカ大学院留学を決めた女子の葛藤など

アメリカ留学
Ichiko
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こんにちは!元英語講師のIchikoです!

私は1年間の留学を経て大学を5年かけて卒業し、24歳の年に新卒で働き始めたのですが、新卒3年目の26歳から2年間、アメリカの大学院に留学しました。帰国時は28歳。アラサーに突入していました。

海外に出たいし、タイトルを取りたい、キャリアを積みたいと思っている女性は多くいると思います。しかし同時に、将来の結婚や子育てのことを考慮に入れると、なかなか一歩が踏み出せないという方もいるのではないでしょうか。

結論から言うと、私は留学して本当に良かったと思うし、あの時の苦労がその後の仕事に生きたし、専業主婦をしている今にもしっかりと生きていると心から思います。20代後半というタイミングで大学院に留学して何が良かったのか、留学に踏み切った理由、そこに到るまでの葛藤、物理的・精神的な苦労などを、女性の視点で少しだけお話したいと思います。

Ichiko
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かなり個人的な話になると思いますが、お付き合いください!

修士を取って帰国。何が良かったか

貴重な女性スタッフとして扱ってもらえた

当時働いていた職場では、女性で海外で修士を取って帰ってきた人材、というのは珍しい存在でした。なので、それまでは女性ではなかなか回ってこなかった仕事にいろいろと当ててもらうことができました。

例えば、女性の講演などの同時通訳やその関係のイベントの通訳などは、やはり女性スタッフが担当したほうが講演者やイベント主催者も安心できる、というのが私の考えでした。それまでは男性スタッフが担当していたところを私が任せてもらえるようになり、経験を積むうちに職場を通さずに直接私に通訳依頼が来ることも増え、喜んでくださる皆さんの顔を見ることで本当にやりがいを感じました。女性の心に寄り添える通訳者になること。これを目標として留学に出たので、帰国後に携わった1つ1つの通訳の経験が大きく心に残っています。

信頼され、頼られる存在になった

「アメリカ大学院を修了」とは言っても、具体的に何を学んだのか、はそこまで問題ではありませんでした。例えば、私は国際学で日米の比較教育の研究をし、同時期に留学した同期は教育社会学。他の先輩は宗教学、家族学、コミュニケーション学、開発学・・・。話を聞くと修士留学経験のある先輩方の専門はバラバラ。しかし、アメリカ(イギリスもいました)大学院留学にあたって英語力試験をクリアし、小論文を書き、出願をし、英語力を高め、専門性を深め、修士を取得し、経験を積んで帰ってきた、という一連の流れに大きな焦点が当たっていたような気がしました。

誰もエージェントなんて通しません。この一連の流れを全て1人でこなして帰国したということは、英語力はもちろんのこと、何か1つのことを計画立ててやり遂げる相当な力が身についているに違いない。そこを評価してくださる人が増え、留学前は経験できなかったような、様々な仕事を与えてもらうことができました。

もちろん、言語面もしっかりと評価されるので、留学前には当たらなかった翻訳や通訳、講師業も任せてもらえるようになりました。

自信を持って後輩の面倒を見れるように

アメリカで修士を取得したことは自分の中で大きな自信につながりました。それまでは「私なんかが人を育てて良いのか・・」と思っていましたが、留学後は「私が次代の人材を育成するんだ」と大きく気持ちが切り替わり、積極的に後輩育成に乗り出しました。

先輩や同期と育成プログラムを立案したり、小さなプロジェクトを立ち上げたり、と、「与えてもらう仕事」だけでなく「自ら始動する仕事」も増え、ますます充実させることができたと思います。

留学をなかなか決断できなかった理由・・・

とは言うものの、「やっぱり大学院留学をして良かった!」ははっきりと言ってしまえば結果論です。留学決断に到るまでには、女性ならではの様々な葛藤がありました。

年齢的に遅くないか

私は職場からの派遣留学という形で留学をさせていただいたのですが、職場ルールとして2年間は日本で勤めることになっていました。つまり、大学に5年通って同期より1年遅れて入社した私が留学できるのは26歳の年から。20代後半に入ってから出発ということは、帰国時は完全にアラサーです。まず、女性として年齢的にアウトじゃないかって勝手な先入観から自分の中でストッパーが働きました(今は全くそんな風に思いませんが、当時はもう遅いと決めつけていました)。

当時、大学生の頃から3年半付き合っている彼氏がいました。全く住んでいる畑が違い、海外に縁もゆかりも興味もなかった彼に反対されたのもなかなか決断できなかった理由の1つです。もちろん、修士をとって帰国して「はい、退職します」というわけにはいかないので、そこからさらに働くことになります。遠距離だった彼は結婚がネックになっていたのだと思います。結局、お互いの思いが一致せず、お別れすることになります。

結婚適齢期を逃しそう

仕事をしながらも、将来結婚をして家庭を持つ、というのは私の1つの夢でもありました。しかし、上記で書いた通り、留学に行くのなら帰国後にすぐ仕事を辞めるつもりはなかったし、むしろ帰国後からがキャリアのスタートとなる・・・ということを考えると、完全に適齢期は逃す、というのが私の見立てでした。

今だったら、帰国後の28歳なんてまだまだ若いって思えるのに、当時は「結婚VS仕事」の構図が頭の中で完全に出来上がってしまっていたんですね。もちろん、仕事を続けながら結婚をすることも可能ですが、そう都合良く相手が現れる予定も全くなかったので、「私は一体どうなるんだろう・・・」という将来に対して一抹の不安を抱いていた、というのは留学を迷った大きな理由の1つです。

仕事にブランクが生じてしまう不安

修士の大学院は一般的に2年間です(国や大学、能力によっては1年〜1年半で終える人もいます)。2年間の留学中、せっかく積んだ経験にはブランクが生じ、覚えた仕事をいったん横に置き、さらにその間に2年先までの後輩が入ってくることになります。同期はその間にどんどん経験を積みます。

もちろん、留学によって培った能力を仕事に生かすために留学をするわけですから、タイトルを取って戻ればそれなりの仕事が与えられることはわかっていました。しかし、2年の間に人が入れ替わり部署が変わり、せっかく構築した人間関係も振り出しに戻り、浦島太郎状態になるのではないか、留学せずにその分しっかりと職場で経験を積んだほうが後々につながるのではないか、という葛藤が生じました。

どのように不安を払拭したか

留学には不安はつきもの。これらの不安を払拭しない限りはなかなか一歩は踏み出せないし、決断しなければ勉強や留学準備にも身が入らないと思います。私はとにかく、英語やその他の言語に関わらず、大学院留学経験のあるいろんな先輩に相談をし、話を聞きました。メリットもデメリットも全てを受け止め、客観的に考える努力をしました。

1番大きかったのは、私の可能性に期待をしてくれている恩師や先輩の存在だったと思います。「お前と一緒にこんな風に働きたいんだ」「お前なら絶対に成功する」「甘えるなよ」そう言って叱咤激励してくれる先輩方の思いが胸に突き刺さり、上記の全ての不安を飲み込んだ上で留学を決断しました。

実際に経験した苦悩

とは言っても、留学なんてただカッコいいだけのもんじゃありません。20代後半からの留学は苦悩の連続でした。どんな苦悩にぶち当たったのか。留学前・留学中・留学後に分けてお話します。

留学前:仕事をしながらの出願準備がとにかく大変

前述の通り、エージェントは一切通していませんので、全て1人で行いました。しかし、仕事は通常通りあるわけです。仕事が終わってからも職場に残り、夜まで準備をし、帰宅してからはTOEFL・GREの猛勉強、日付が変わってから寝て翌日出勤、というサイクルの毎日・・・。最後のほうは死んでいたような気がします。

卒業した大学まで足を運んで各種証明書を発行してもらい、お世話になった教授3名にアポをとって推薦状を書いてもらうお願いをします。大学教授は基本的に多忙なので、なかなかアポがとれません。推薦状は白紙の状態から書いてもらうわけにはいかないので、自分である程度作成し、教授には署名をしてもらうだけ、という状態にしておきます。(出願要項にもよりますが、推薦者3名のうち1名は肩書きのある職場の上司でも良かったと思います)

加えて、出願大学が課題にしている小論文の作成。基本的には自分が2年間を通してどのような計画で何を学びたいか、を理論的に書きます。私は全部で3校に出願したので、3校それぞれに違った課題があり、とにかく勤務後は小論文作成にあけくれ、同僚のネイティブや先輩に添削してもらう、という日々でした。やっとの思いで合格通知が届いたあとはビザの準備に奔走。。

これに加え、私はこの時点で出願大学が規定するTOEFLの点数を取っていなかったので、鬼のTOEFL対策です。何度も言いますが、仕事をしながらです。留学前に死にかけたのを覚えています。修士留学経験のある職場の先輩に言われた「留学前に留学の50%が終わる」とはこのことだったのか・・・と実感しました。

Ichiko
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悪いことは言いません。TOEFL(IELTS)の規定点数だけは早めに取っておきましょう!

留学中:大好きだった祖母の死目に立ち会えなかった

青天の霹靂でした。留学直前、普通に元気で笑顔で別れた祖母が突然亡くなりました。老人性の心不全です。小さな頃から同居していて、本当に可愛がってくれた祖母。大好きで大好きで、実家に帰省するといつも私の大好きな南瓜の煮物とナスの味噌煮を作ってくれました。留学初期の頃にはエアメールも送ってくれ、「おばあちゃん元気で待ってるよ」と言っていたのに。亡くなる直前、もう意識が遠のいている中で家族とスカイプで繋がることができ、なんとか私の声を聞かせてあげることはできましたが、祖母の声を聞くことはできなかったし、お見送りもしてあげることができませんでした。

これが20代後半で海外に出ることの一つの弊害かもしれません。誰しも20代後半になると、祖父母はもうそれなりの年齢になっていますよね。どんなに元気でも、老人にはいつ何が起こるかわからない。死目に会えない覚悟はしていくべきだった、と痛感しました。

ちなみに私は、その5年ほど前の1回目の留学の時に祖父を亡くしています。当時はまだ21歳の大学生で、人生で身近な家族が亡くなった初めての経験だったのでパニックになり、学校を休んで高いチケットを空港で買って帰国してしまったのですが、その経験があったからか、大学院時代に祖母が亡くなった時は冷静でいることができました。職場派遣という責任もあったので、帰国するなんて考えには至りませんでした。ただ、すごく悲しかったし、なかなか自分の中で消化できませんでした。

留学後:いつの間にか周りは結婚ラッシュ!無事に取り残される

帰国時は28歳。結婚適齢期のど真ん中で帰国したという感じでしょうか。私が留学の経験を生かしてさぁ仕事だー!となっていた時、周りを見てみると怒涛の結婚ラッシュでした。数年で実の弟2人を含む10人以上が結婚し、ご祝儀や二次会会費、交通費を総額すると恐ろしい金額を他人の結婚式に注ぎ込みました(笑)。

全く気にならなかったと言えば嘘になりますが、留学から帰って任されることも増え多忙になり、仕事に生きがいを感じていた私。そんなに苦にはならなかったし、時がくれば良い人と結婚するだろう〜なんて軽い気持ちで過ごしていたのを思い出します。実際に帰国してから4年後に同僚だった夫と結婚しました。

20代後半からの女性の大学院留学まとめ

葛藤や苦悩にメリットを合わせて体系的に私の体験をお話したつもりですが、1つ言い忘れていたことがあります。とにかく楽しかったです!社会人から学生に逆戻り、同級生は年齢バラバラで、下は19歳から上はなんと50代の小学校の校長先生まで。勉強や研究はもちろんのこと、アメリカという国、大学という組織から学んだことが多くありました。学ぶのに年齢なんて全く関係ないんだ!と心から思いました。

下記の記事で公開しているのですが、私は研究の傍らあるオフィスで働き、その他多くの活動に積極的に参加しました。

【アメリカ大学院留学】英語力が抜群に伸びたお勧めの課外活動5選
せっかく留学したのに英語力が全然伸びない。勉強・研究ばかりで人と話す機会がない。もっとコミュニケーション力を身に付けたいのに!そう持って悩んでいませんか?アメリカの大学と大学院と2回の留学を経験し、勉強・研究以外の時間を活用して人と接することで英語力が劇的に伸びた経験を、私が行なった5つの課外活動をもとにお話します。

大学院は書くことがメインになりがちで、引きこもって孤独の中で論文と向き合う時間が異様に長いです。どうにか人と関わり、コミュニティーを広げ、研究だけでなく環境や人から何かを学ぶことを常に模索していました。その結果コミュニケーション能力が大きく飛躍したと思っています。

準備の段階からとにかく多くのことを経験することができる大学院留学。結論から言うと、20代後半なんて全く遅くありません。その後の人生に大きな影響を与えることは間違いありませんし、そこでぶち当たった壁や苦悩も、必ず後々に生きてきます。私はそう確信しています。

女性だからこそ補える部分も多くあります。迷っている方、相談にのります。いつでもDMくださいね。
私の体験が少しでも皆様のお役に立てば幸いです。

Ichiko

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